ルカのアポフテグマと救い

 レポート課題で加山久夫『ルカの神学と表現』(教文館、1997年)の2、3章を読む。

ルカの神学と表現
加山 久夫

教文館
1997-02
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 2章は「ルカ福音書におけるアポフテグマ」というものである。アポフテグマというのをほとんど理解していなかった私にとっても、アポフテグマがどういったものかなんとなくわかってきた気がした。要するに、「主の言葉」と物語の中間的なもの。ただ、中間的なものだけあって、研究者によってどう位置づけるかかなり幅があり、ちょっといい加減にしてくれ、と思ってしまうような議論もあるように感じる。最初にアポフテグマというギリシャ文学の文学類型を新約研究に適用したのはブルトマンである。ブルトマンがアポフテグマの中心をイエスの発言に見、物語的部分をあまり重視しない点に著者は疑問を持つ。そしてタイセンの批判を持ち出し、物語られた教えとしてのアポフテグマとは別に、物語をとおしての教えである譬えを言葉と物語の間に置き、ロギア、譬え、アポフテグマ、物語という四類型で考えるタイセンの考え方は私にも説得的に思われるのだが、著者は結局三類型で考えている。著者は、アポフテグマといえどもその中心はイエスの言葉なのだというブルトマンの見解に同意しつつも、「主の言葉」という類型でなくアポフテグマという類型が採用された点にこだわり、その類型の持つ機能に注目したいようである。特に、ルカがアポフテグマを多用しているので、そこにどのような神学的主張が含まれているのかを探るのがこの論考の目的のようである。ルカがアポフテグマを多用しているのは、イエスの言葉を一つの全体的な経過のなかに位置づけて理念的に歴史化するためであり、そのようにイエスの過去を過去とする、すなわち過去のイエスのなかにイエスの言葉を取り込むことに何の不安も留保もなかったのだと結論する。
 3章は「ルカ福音書における救い」というもの。コンツェルマンが『時の中心』で明らかにした救済史というルカ文書の基本構造を土台にして、ルカがどのようにイエス使徒たちを描いているかが概観される。ルカは、ヘレニズム世界に生まれ育った異邦人が正しい神認識へと導かれることを企図し、いかにヘレニズム世界キリスト教に接木することができるか、という課題に答えようとした、という。意外と面白くなくてあまりちゃんと読んでない。