教会旧新約聖書神学

 1限の授業。眠い。聖書神学の再考を試みるクラス。「聖書神学」という言葉が死語になりつつある。近代の聖書学の発展は、聖書学と神学とを分裂させてしまった。旧約と新約も分裂してしまった。そして聖書と教会も分裂してしまった。この3つの分裂を克服するために先生が提唱されたのは、「教会旧新約聖書神学」というものである。合理主義、経済主義一辺倒の近代主義に批判的になり、キリスト教の正典とされた旧約聖書新約聖書から聞こえる多様な声のシンフォニーを、そのコンテクストを十分に意識しながら、知恵を手がかりに聞き取っていこう、「聖書に出会えて良かった」と言えるような読み方を追求していこう、というような主張だと理解した。聖書学の大前提となる文献学的な勉強ばかりしていると、どうしても「なぜ聖書を読むのか」ということを見失いがちになる。先生もおっしゃっていたように、自分の中に染み付いている近代主義的な考え方を克服して新しい読み方を見いだすことは、難しいことだが、とても重要なことだと思う。この授業を通してその手がかりでも見つかるといいなあ。
 眠かったんで、同じ授業に出てた人、コメントで補足してもらえると嬉しいです(笑)。