田川塾

 今日と来週と西宮で田川塾。京都と同じ新約概論だが、こちらは月2回ほどのペースなので、すでに擬似パウロ書簡も終わってヨハネ福音書に入っている。ブルトマンの註解がいかにすぐれているか、という話に始まり、この福音書のわけのわからなさ、そしていわゆる「ロゴス讃歌」の話の途中で終わり。内容については本になって出版されるまでは他言できないので詳しくは触れないが、印象に残った話をひとつ。ブルトマンの註解が出版されたのは1941年。この時期のドイツは大変な時で、実際ブルトマンの弟子のコンツェルマンなどは戦場で敵の縦断が喉元をかすめたという。一命はとりとめたものの、発声が困難になり、彼の講義に出ていた田川先生がおっしゃるには、聴く者の方が胸が痛くなるような様子だったそうだ。弟子がこんなに大変な思いをしている時期にこうした註解書を書いていられるなんて大層なご身分で、といった口調で話されていたが、ブルトマンにしても大変な時期だったはずで、そのような時にこれだけの註解書を書けるというのは凄まじいものがある。手元に、フック−リーツマンのシノプシスをくれた友人がくれたブルトマンのヨハネ註解があるが、パラパラとめくってみても、その脚注の多さに驚かされる。本文3行で残り全て脚注、といったページまである。半分以上が脚注なんてページはざらにある。田川先生には、亀甲文字は読まないだろう、とからかわれたが、私の場合、ヒゲ文字が問題なのではない。kや大文字のいくつかに慣れてしまえば、ヒゲ文字自体にそれほど困難はない。問題なのはドイツ語の実力である。いつになったら辞書なしである程度くらいには読めるようになるのだろう。。。