ロマ書

 先月不覚にも欠席してしまったので、2ヶ月ぶりの神学講座。その間に第2コリントは終了し、今日からロマ書だった。毎朝ウェストコット−ホートで1章ずつ読んでいるのもちょうど先日ロマ書に入ったところだったのでちょうどいい。しかし、最初の話題はいきなり最後の16章。16章がロマ書にふさわしくない、エフェソスの教会に宛てて書かれたのでは、という奇妙な、しかし多くの学者の支持を得ているらしい説の根拠の無さが徹底的に示された。
 学部の卒論・研究発表を終えてから西宮の講座に行き始めたのが今から2年3ヶ月前。その時がロマ書の中程だったので、2年半ほどかけてようやく京都の講座がその頃に追いつくことになる。もっとも、土曜の西宮の講座は現在はパウロ書簡も擬似パウロ書簡も終わり、ヨハネ福音書をやっている。月に2回のペースなので、月1回の京都とはその差が開くばかりだ。京都の講座は今期は残すところ来月の1回のみ。残念ながら、西宮で受講した箇所に到達するにはもう少し足りなさそうだ。レジュメはかなり書き足されているので、復習も兼ねて来期も参加することの益は少なくないだろう。あとは時間とお金の問題だ。